たった一言がないために
そ~んなに
アクセクしなくてもニャーァ・・・
/近所の散歩道:2003秋
今朝の電車の中での一コマ。
9時過ぎに千葉エリアに行っていなければいけなかったので、
通勤ラッシュの電車に乗った。
普通列車でも案の定混んでいる。
蒸し暑いし、気候もうっとうしいし、
そろそろ汗臭さも感じる季節という条件も重なってか、
あまり長く乗っていたくないと、私も感じる。
ある駅に電車が止まった時のこと。
乗換えのためにたくさんの人が降りようとした。
私も降りようとしたが、
前方で50歳前後のスーツ姿の男性が、
降りる人の流れに逆らってかたくなに自分の立ち位置をキープしようとしている。
もちろんその人は、左右からも後ろからも人にぶつかる。
後ろから右側を通ろうとした若いスーツの男性のカバンが引っかかった。
初老の男性は、何を思ったか、
やらなきゃいいのにその若者のカバンを乱暴に扱ったか、
若者をヒジでこついたかした。(「こつく」って方言?)
若者は、これまた言わなきゃいいのに
その男性に向かって「このハゲ!」とつぶやいて降りていった。
・・・なんというか、どっちもどっちですな。
毎日毎日仕事に追われ、こんなに混んだ電車に乗ってたらイライラもするだろうにと
同情の気持ちもないわけではないが、
こういうささいなことから、殴り合いになったり、
傷害事件に発展するんだろうなぁ。
そんな事例を、目の前で見させてもらった。
お互いに気に食わない相手にストレス発散の八つ当たりをしているようで、
とてもカッコ悪い。
初老の男性は、一旦降りるか、
もう少し流れにあわせて柔軟に動くかすれば、
自分自身にかかる人からの圧力はマシだろうに。
若者は若者で、「すいません、降ります」と先に言えば、
男性だって多少はゆずるかもしれなかろうに。
黙って人を押しながら降りて、「・・・まったく!」と思うより、
たった一言、先に「すいません、降ります」と言えば、
もっとストレスなくスムースに降りることができるのに。
人間、たいていの場合、
敬意を払ってもらったり、存在を認めてもらっていたら、悪い気はしない。
電車から降りるとき、
「すいませんが」と一言添えるだけで、
相手が自ら動いて空間を作ってくれることは多い。
それもままならないくらい混んでいる時は、
「すいません、“降ろしてください”」と周りに聞こえるようにお願いすると、
かなりの人たちが協力をしてくださる。
そんな時、バッグが人と人との間に挟まって身動きとれないときがある。
そういう時もバッグを引っ張りながら「バッグが・・・」と声に出して言うだけで、
該当する方は混んだ電車の中でも一生懸命身体を動かし
バッグが抜けるようにしてくださる。
協力してくださったら、
また一言「すいません」か「ありがとうございます」と言えばよい。
私はそうやって、さほどストレス無しに電車から降りて、
朝っぱらからいらぬエネルギーの消耗をしないですんでいるけれどなー。
それだけのことなのに、
黙って力任せにやろうとするから、
相手は「自分を大切に扱っていない、邪険に扱われた」と思うし、
そんなことする相手には仕返ししたり意地悪したくなったりもするものだ。
たったひとことを言うのがめんどくさいというストレスより、
言わないがために己に降りかかるストレスの方が
よっぽど質が悪くてイヤだと思うのだけれど・・・