生きてきた証(あかし)
幾度もの噴火を重ね
今の美しい姿になった
/夕暮れの富士山(江ノ島より):2003初秋
今日は月に一度のカウンセリング・グループスーパービジョンの日だ。
スーパービジョンの時もあれば、
その時出されたテーマをカウンセリングの観点から語り合うゼミのような時もある。
今回は、ご指導してくださっている二人の先生の片方が、
もう片方の大先生に対して投げかけた質問で盛り上がる。
一つのケースに対して様々な技法や理論を持った複数の人が見立てると
時に互いにまったく違う、場合によっては相容れないような
アプローチの方法が出てくることもあるが、
それに対してどう思うか?
それに対し、大先生(80代のおじいちゃん:失礼!)は、
人生を積み重ねてきた人ならではの
深みのあるまた非常に柔軟な視点で話をしてくださった。
(おおよそ以下のような意味だと私は受け取った)
自分が学んできたもの、自分のスタンスから見ると
違っていたり相容れないものであったとしても、
突き詰めていけばそこに共通点が見られる場合もある。
自分のスタンスや持っている知識・経験だけにこだわると
他の様々なものの見方ができなくなる危険がある。
簡単に「正しい/間違っている」「合う/合わない」と判断せず、
そこから湧きあがってくる疑問やモヤモヤしたものと
向き合うのも大切ではないだろうか。
なるほど、もっともだ。
様々な技法や理論は全て、「人間」をそれぞれの角度から見たものであり、
見る角度が違ったら見え方は違って当然だが、
それらの本質は「人間」という共通したものであるから
突き詰めていくとどこかに接点や共通点があるのだろう。
ひとしきりこの話題が終わった後、別の人がその大先生に尋ねた。
「先生は、とても柔軟な方ですが、どうやったらそんな風になれるのでしょうか?」と。
先生は答えた。
「そういわれても自分では自分ことはよくわからない。
1日2日でこうなったわけでなく、人生のどこかにきっかけはあるのだろう・・・。」
それから、先生の自己分析が始まった。
幼い頃の家庭の中での自分の役割、
友人たちとの付き合いの中でしらない間に決まっていった自分の役割、
カウンセリングを通して身につけてきた「カウンセリング・マインド」も
影響しているだろう・・・などなど。
お話を聞いていると、
まさに今までその先生が生きてきた積み重ね、経験の積み重ねによって、
今目の前の姿があるのだということがよく伝わってきた。
80を越えても、自分の限界を認識するにとどまらず、
まだあるであろう可能性を信じそれを花開かせるために、
日々ワクワクした気持ちを自家発電しながら生きて行きたいと熱く語られる言葉には、
思いがたくさん詰まっていた。
そこにもまた、この先生の「生き様」を垣間見た気がした。
一般論的な講義では物静かな淡々とした調子だが、
先生個人の価値観、思いを語ってくださる時は別人のように饒舌に熱くなる。
様々な経験談、熟された知識や知恵を、あふれんばかりに語られる時、
本当にイキイキとされている。
これからもぜひ長生きして、私たちにたくさんのことを伝えていただきたい。
たくさんのことを先生から学びたい。
そして私も、
それまでの生き様や生きてきた証に責任と誇りを持って
いずれ出会うであろう意思を継ぐ人たちへ伝えられるような人になりたい。
そんな気持ちになった一日だった。