朝、仕事に向かうために電車に乗って、
ぼんやり窓の外を眺めていたら・・・
おっ、朝から「幻日」出てるじゃないっ!
太陽から少し離れた横に現れる光。
太陽と雲の関係によっては、
赤から緑くらいの虹色グラデーションになることも。
太陽と雲の位置も関係するので、
左右どちらかの片方だけに見えることもある。
「今日はどうかな? 両側に見えるかな?」
/渋峠 : 2003年春
仲間達との 東京~寺泊リレーラン
自宅de仕事デーの日は、時間があればネットニュースをていねいに見たりする。
今日は自然や環境に関するニュースで気になるものがいくつかあったので、
記録しておきたい。
(ヤフーニュース、他より)
1)オーストラリア 2008年よりリサイクル下水を飲む決断 干ばつのため
2)クマ殺処分1900頭超 絶滅の懸念も 本年度・東北
3)2006年度 世界的暖冬の例
4)氷河の減少、80年代の3倍…気候変動で環境も変化
この海の水面もやがて
僕らの背丈をゆうに越すほどに
なってしまうのだろうか・・・?
/鎌倉の海岸 : 2004年冬
レディースデー、たまたま午後からの仕事だったので、
朝一番で映画館に出かけた。
元アメリカ副大統領アル・ゴア氏が、
学生時代から興味を持っていた温暖化問題の知識をさらに深め、
世界で1000回以上講義した温暖化に関するスライド講座の映像と、
彼がそこまでつき動かされるようになるまでの人生の軌跡だった。
スライドで提示されるデータや地球環境に起こっている事実の映像を
今一度じっくり見てみたい。
字幕とデータを同時に見るのは難しかった。
吹き替え版があると青少年にもわかりやすそうだ。
幸い、書籍が出ているらしい。
ゴア氏の熱のこもった必死の講義の姿に胸を打たれた。
彼は本気だ。そう思った。
ともかくわかったのは、ここ数十年の間に、
人類は未だかつてないスピードの温暖化を体験しているということ。
しかもかつてない高温の時代にすでに突入しつつあること。
命あるものは
やがて土に還る
/武蔵丘陵森林公園:2002年晩秋
10月9日付け、ネットのスポーツ報知の記事で
「死後40日依然凍ったままのナカちゃん…NewsX」
というタイトルを見つけた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20061009-OHT1T00099.htm
徳島県阿南市の那賀川で有名になったアザラシの「ナカちゃん」。
今年の8月に死んでいるのを発見されて以降、
今も冷凍保存状態で今後の処遇が決まらない状態のようなのだ。
その記事を読んでいると、
「剥製」案は、体の一部が腐敗があるのでできない
「レプリカ」案は、ナカちゃんの表面が毛で覆われているのと、
体にけがの形跡があることから、型を取ることができないので難しい
「骨格標本」案は、「学術的にはよいがかわいそう」
「子供がショックを受けるので、外に展示できない」などの声があがっている
という状況なのだそうだ。
読んでいるうちに、
私の中にはなんともいえない「違和感」が湧き上がってきた。
ビルと排気ガスの道路に囲まれた
都心の植物園でも
自然の営みは続いている
/小石川植物園:2006年春
感じたり考えたりしたことを、とりとめもなくつらつらと・・・
先日の自然学校と環境教育に関するシンポジウムで、
「ESD(持続可能な開発のための教育)」という言葉の他に
「環境教育推進法」という言葉を聞いた。
シンポジウムでは、企業も個人もあらゆる人がその対象となると聞いた。
いったいそれは、何だろう?と調べてみた。
環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の
推進に関する法律(環境保全活動・環境教育推進法)
地球温暖化や廃棄物問題、身近な自然の減少など、
現在の環境問題を解決し、持続可能な社会を作っていくためには、
行政のみならず、国民、事業者、民間団体が
積極的に環境保全活動に取り組むことが必要です。
(環境省ホームページより http://www.env.go.jp/policy/suishin_ho/index.html)
「持続可能な社会」という言葉は、エコロジーの関係か何かで聞いたことがあったが、
こんな決まりがわが国にできていたとは知らなかった・・・。
普及用パンフレット(http://www.env.go.jp/policy/suishin_ho/pamph_suishin.pdf)を見たら
「つながり」に気づき、あなたから始めよう
というキャッチフレーズがあった。
そっか・・・
このブログのカテゴリーの1つ「人と自然・世界・そして…」、
私が関心を持っていきたいと思っていたことの1つが、
そこでいう「つながり」に近いのかもしれないと思った。
しかし、「つながりに気づこう」とお題目を唱えたって、
今はそれが難しい世の中だ。
「自然」と「人の暮らし」が離れすぎてしまっている。
暮らしの中に自然が少なすぎるから、
自分の行いが自然にどう影響するかもわかりにくいような気がする。
離れているから求めたくなり、
連休ともなるとあちこちに渋滞が起こり、排気ガスにまみれて、
みんなわざわざ自然に出会いに出かけていく。
私だって、身近に自然はある方だが、それだけでは満足できず
わざわざ「自然学校」に通う。
昔にもどれとは言わない。
だけれども、今みたいな暮らし方で本当にいいのだろうか?とも思う。
先日のシンポジウムで聞いたのだが、
今、「自然学校」(というそのものの看板をあげていないものも含む)は、
世界的に増えているのだそうだ。
先進国だけでなく、途上国にさえあるという。
それだけ、“人間にとって”自然と暮らしが離れてきてしまっているのだろうか?
また、国内の過疎地や里山など自然が豊かなところに住んでいる子どもたちは、
案外自然と触れ合っていないのだそうだ。
身近に自然があっても、自分が関心を持たない限り、
自分とはつながらないのかもしれない。
そんな時代だからこそだろうか、
明治・大正時代に提唱され、当時は早すぎたであろう自然との付き合い方が
今見直されてきているという。
昨日たまたま見たテレビ番組で、それを知った。
岡崎文吉という治水技術者の「自然主義」という考え方だ。
簡単に言うと、川は本来蛇行する性質を持っている。
それをまっすぐにしてしまうのではなく、
本来の川の性質をそのまま活かし、
決壊しやすい不都合なところにだけ人工的に補強をする。
という考え方だ。
http://www.c-museum.jacic.or.jp/c-museumn/ijin/ijin01.html
http://www.taisei.co.jp/cmtime/column/tachi/2006/0302.html
当時、石狩川でその実験が行われたが、その後日本にほとんど広がることはなく、
後に海外で評価され、今日、自然水理学として高い評価を受けているという。
世界でも有数の大河川ミシシッピ川の治水工事手法として採用され、
アメリカでは今もなおその手法での事業が行われ続けているらしい。
自然を支配するのではなく、
自然の特質をわかった上でうまく付き合う知恵が、
こうやって受け継がれてきているのはすばらしい。
知恵が受け継がれていくといえば、またシンポジウムでの話に戻るが、
こんな話題も出てきた。
山村のおじいさんおばあさんは、
あと20年もしたら大半がこの世からいなくなってしまう。
それまでに誰かが受け継いでいかないと、
古くから(ものによっては縄文の時代から?)培われてきた
暮らしの知恵・自然と共生する知恵が永遠に消えてしまうかもしれない。
(伝統・文化などもそうだろう)
実際にそういうことはすでに起こっている。
私が好きな沖縄の離島では、
過去に繰り返された強制移住や、戦争マラリア、産業の変化などにより
脈々と歌い継がれてきた「うた」の多くがすでに失われてしまっている。
祭りの出し物も過去の記録と照らし合わせると確実に数が減っている気がする。
人が足りないからだ。
農耕儀礼も簡略化されてきた。
それでは生きていけない経済サイクルに飲み込まれたからだとも聞く。
後継者不足で祈りの言葉が消えていく。
方言を話せる人も減ってきているという。
今年の夏もそこを訪れる予定だ。
部外者であるが、おせっかいながらも何かしたいという気持ちにもなる。
「つながり」、「つなげる」、「つながる」、「うけつぐ」・・・このところいろいろ考えさせられる。
体験したすべては
どこかでつながっていくのかもしれない
/静岡県芝川町:2006夏
先週末から、いつもにもまして「自然」が身近だった。
そして、それらは、幾筋ものつながりの糸で結ばれていった・・・。
--------------------------------------
7月8日(土)、9日(日):
自然学校。キャンプ実習。
テント設営、カヌー体験、魚をさばいて串に刺して火で焼く、
ロープワーク、火おこし・・・しかも雨天のキャンプ。
自分たちで資材運びも準備もせねばならない。
・・・重い、面倒、きつい。
だからこそ、その後の喜び、楽しさが身にしみる。
日ごろ「苦労する」ということから少し逃げてはいなかっただろうか?
苦労があるからこそ、その先にある喜びは大きいことを
忘れてはいなかったか?
そこそこやれるんだ!私。
テント設営も、火おこしも、あるだけの材料でレシピを思いつくことも、
意外とキャンプの歌や踊りを結構知っていたり、
ロープワークだって器用でスピーディだ。
それらはすべて、
子ども時代から今まで生きてきた経験の中に 「資源」があって
ここしばらくは使わないで眠らせていたものだ。
だけど、たくさん持っているものがある。
・・・そんなことに気づかせてもらえた。
--------------------------------------
7月14日(金)
ある本屋に立ち寄った。
偶然見つけた本は、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」
子どもたちが「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、
いつまでも失わないでほしい
という願いをこめた、彼女の遺作だ。
平積みになっていて、私の目に飛び込んできた。
その日は、手にしただけだったが、その後、ずっと心に引っかかった状態になった。
16日に別の本屋へ行ったときに探してみた。
残念ながら、そこでは品切れ中だった。
月末に、またあの本屋へ立ち寄る予定がある。
その時は、買おう。
--------------------------------------
7月15日(土)
ネイチャーゲームの合宿で一緒になった仲間たちと、
施設見学。
子どもたちが暮らす施設で、
ボランティアでネイチャーゲームをやれないか?
というのが、ことの発端。
緑が豊かな敷地で、子どもたちにどんなことを体験してもらえるだろうか?
見学の後、ランチを食べながら、
みんなで早速プログラムを組み立てる。
あれやこれや、知恵を出し合うと素敵なプランができあがる。
解散後、帰り道と反対方向の電車に乗り、海まで足を伸ばす・・・。
波打ち際でサンダルを脱ぎ、パンツのすそをめくり、
素足でずっと海岸を歩く。
波がとても高い。この浜辺で初めて見るパワフルな波だ。
どどどーーー、どうどう、と、
海は低く激しい叫び声をあげ続ける。
見上げるとかなとこ雲の端っこが、太陽を隠そうとしている。
北の遠くの町の方は真っ暗だ。
雷の音が鳴っていたとしてもかき消されているほどの
波の激しい音。
そんな海を小一時間ばかりぼんやりとながめた。
そろそろ帰ろうと、駅に向かった。
海岸沿いの道路まで戻ってきたら、
海からそんなに離れていないのに、
あんなに激しい波の音も
車のエンジン音や店の音楽にかき消されもう聞こえない。
なぜか、
石垣島で、夜の海にカヤックを漕ぎ出し、
夜光虫と天の川を眺めながら聞いた、
はるか遠くから静かに響いてくる
リーフに崩れる波の音を思い出した。
--------------------------------------
7月16日(日)
自然学校と環境教育に関するシンポジウムに行ってきた。
ESD(Education for Sustainable Development
:持続可能な開発のための教育)に
自然学校がどのように寄与していけるかというテーマだった。
今年お世話になっている自然学校の代表や他の自然学校の人たちが
どんなことを話されるのか興味を持ったのだ。
先週の自然学校のとき、スタッフの人に学校の始まりの話を聞いた。
アジアの国などをめぐっていた時期がある代表は、
それらの国の人たちが、
衣食住に関することを自分たちの手作りでまかなっている姿を
見たのだそうだ。
それを大切に思い、開校して25年以上経つこの学校では、
今も、その精神を大切にし、
自分たちでやれることは自分たちの手でやるという方針があるのだという。
言われてみれば毎月訪れるたびに、どこかが変わっている。
それはみんなスタッフや協力者の人たちによって作られていく。
テント用のウッドデッキであったり、山の斜面の木道であったり、
養蜂箱だったり、そこから採れた蜂蜜だったり、
食卓にのぼる季節ごとの新鮮野菜だったり・・・。
人の手で、人間のスピードで、ゆっくり環境が整えられていく。
そもそも「ESD」という言葉は、こんな経緯で生まれてきたそうだ。
近年の地球的規模の環境問題の発生の一方、
これから豊かさを目指そうとしている発展途上国が開発を行うにあたって、
破壊なき開発(Development without Destruction)がテーマとなったが、
先進国にも用いられるような言葉はないのだろうか?
ということで、「Sustainable Development」という言葉が生まれてきたらしい。
そのための環境教育を意味するのが「ESD」だと、今回理解した。
自然体験は、環境教育の基礎だろうとパネリストの誰かが言っていた。
小さいときに自然体験をたくさんした子ほど、
環境教育や、環境保護活動にたずさわる。
両親がたくさん自然体験をしたことのある親の子ほど
上記と同じ傾向がある。
そして、自然学校が子どもたちにどんな効果をもたらすかについては
子どもたちを追いかけるところまではしていないけれど、
今、自然学校をやっている人たちが、どういう人生の積み重ねをしてきたかは
さかのぼることができる。
そこに答えが見つかるかもしれない、と。
そしてさらに、こんな話も出てきた。
レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」で訴えたように
できるだけ年齢が小さく感性が鋭いうちに
そういう教育をする必要がある。と。
--------------------------------------
・・・この一週間で体験したことは、すべてつながっていて、
私に、「それらの体験から自分なりの答えを見つけよ」と、
訴えかけてきているようにも思えてならない。
わし座のアルタイル星(彦星)
/波照間島2004年夏
こと座のベガ星(織姫)
/川崎市内2004年夏
2日ほど前だっただろうか・・・。
雨が降りしきる中、
駅前の花屋からピンク児に白い花柄のレインコートを着た少女が、
透明ビニールに包まれた自分の背丈くらいの長いものを持って
ニコニコ顔で出てきた。
よく見るとそれは、七夕飾り用のササだった。
少女がうれしくて自分で持っていたい様子を、
後ろから母親が温かく見守っていた。
・・・今日は七夕。
あの少女は、どんな願い事を書いたのだろうか。
あいにくの空模様だが、
雲の上では彦星と織姫が再会を喜び合うことだろう。
私もたまには純真な気持ちで、
夜空に願いをかけてみようかな・・・。
小さくたって一人前
/ベランダにて:2006夏
6月の半ば頃気がついたのだが、
ベランダの鉢植えに、カマキリの子どもが住みついている。
もうかれこれ2週間が経つ。
体長は頭から胴体の先までまだ1.5cmほどだ。
私が顔を近づけると、
顔をこちらに向けて警戒して、カマに力がこもる。
小さくても、いっちょまえに大人のカマキリと同じ形をして、
同じような態度をとるから面白い。
うちは、マンションの2階。
どこからどうやって、ここにたどり着いたのだろう?
とても不思議だ。
しかも一匹ではない。
多い日は3匹見つけたことがある。
ここ2~3日は1匹だ。
他の仲間はどこへ行ったのだろう?
2週間、時々見ていたら、
少しずつだが大きくなっているようだ。
「ここ」で暮らしていける食べ物があるのだろう。
こんな狭いベランダの、
植木鉢のちっぽけな世界にも、
生物たちの営みがある・・・。
黒部川源流
/北アルプス鷲羽岳(2924m)山腹より2001夏
今日のヤフーニュースに、
約1ヶ月間ヒマラヤのマナスル峰(8163メートル)で清掃登山をしていた
登山家の野口健さんらが
ゴミ回収作業を終えたという記事があった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000010-yom-soci
ベースキャンプとして利用される4750m地点周辺で拾ったゴミ、
なんと約220kgもあったそうだ!
そのうちの3割が、どうやら日本のパーティーが持ち込んだであろうものらしい。
ゴミに印刷されている文字でわかるようだ。
ヒマラヤは世界各国の人たちがアタックしている山だと思っているが、
その中で日本のゴミが占める割合が3割という数字は
大きすぎやしないか?
野口健公式サイト「富士山から日本を変える:“ヒマラヤを清掃する意味”」に、
こんなメッセージがあった。
http://www.noguchi-ken.net/message/b_num/2006/6_0517_1.html
今日もそのポイントの清掃を行ったが、目立っていたのが電池。
清掃中、ふと視線を下の方にやると1000m下にあるサマ村が見えた。
この氷河を汚染すればそのままサマ村の水を汚すことが実感としてよく分かった。
そしてその水がカトマンズへと流れ国境を超え、
インド、バングラディシュ、そして最後はインド洋に流れていく。
つまりヒマラヤはまさしく水源地のスタート地点であるわけで、
ヒマラヤを汚せばヒマラヤのみならず最終的には海まで汚染してしまう。
その一端を、心無い日本人パーティーが担っていると思うと
かなり恥ずかしい話だ。
確かに、登山やアウトドアの時、ゴミは厄介だ。
特に熱い夏の盛りはすぐ匂ってくるし、
体力が消耗されていく中では、
ゴミすらも重たく感じてどこかに置いていきたくなる気持ちはわからなくもない。
つい、「自分ひとりくらい」と思ってしまいがちだが
そう思っているのは実は自分だけでない。
最近、高速道路のゴミ箱に、家庭ゴミが捨てられていることが多いらしい。
旅行に行く際に、管理組合などのルールが厳しすぎて、
出発前に捨てていけないなどという理由でもあるのだろうか?
コンビニのゴミ箱にも、家庭ゴミが捨てられているとも聞く。
たとえばの話、たいていの人が「自分ひとりくらい」と思っていたとしたら、
それは「たいていの人は・・・」になり、
つまりは捨てられるごみの量もそれに比例することになるということを
あらためて受け止めないといかんなーと思う。
「自分ひとりくらい・・・」と思ってやる行為も、
実は世界とつながっていて、
小さいながらも影響を与えているのかもしれないのだ。
それが、「自分ひとりでもいいから・・・」という思いからのよいことならば、
一人一人の力が集まって大きなよい力になっていくが、
悪いことならば、それもまた一つのダークパワーの塊となっていく。
自分の何気ない行いは、
この星をどういう未来に向けていく一端を担っているのだろうか・・・?
-------------------------------
*写真について
黒部川源流は、写真右手斜面から、左へと下りながら、前方へと大きくカーブし、
この後たくさんの支流と合流しながら、
あのパワフルな黒部川となっていく。
そこを訪れた時、
その最初の流れがあまりにも小さく、その小ささに感動した。
この一滴一滴のしずくが、やがて山をも削る川になり
それはまたさらに、人々にうるおいを与えながら、
海へと流れていくのだ・・・。
場所:ウォッ地図(国土地理院地図閲覧サービス:「三俣蓮華岳 [北東] 」
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=54374455
地図のちょうど真ん中あたり、
祖父岳、ワリモ岳、三俣蓮華岳に三方を囲まれたところが黒部川源流。
写真は、地図でいうところの源流東、2924と書かれた鷲羽山ピークと、
その南西、三俣山荘の間の稜線で撮ったもの。
http://www.shinmai.co.jp/kanko/yama/00009.html
↑このページの稜線のどこかで立ち止まって撮りました。
昨日は、そういうタイトルの集まりだった。
環境保護の問題を中心に、
スピリチュアルな世界や民族学の世界もミックスされた
摩訶不思議な世界。
参加した人たちも様々。
沖縄つながりの人たち、
自然&環境問題関係の人たち、
教育関係の人たち、
環境ビジネス系の人たち、
スピリチュアルつながりの人たち、
アカデミックな世界の先生方、
学生、医療関係、金融関係・・・・・・
年齢も10代後半から60代後半まで。
言葉は、日本語と英語と・・・
(民族学映像監督の方が、ご病気でこられなくなったり、
友人が連絡がうまく取れずにドタキャンとなったのは、残念!!)
ゲストスピーカーは、ハワイ在住の環境保護活動家M氏(何人だろう?)
通訳&ナビゲーターは、多言語を操り世界中飛び回っているSさん。
このSさんと私は沖縄つながりで、
ご縁ができてここ2年ほど交流をさせてもらっている関係もあり、
今回、日本にあまりいない彼女に代わり幹事&受付をすることになった。
この3人がそれぞれ知人に声をかけて集まったのが、
今回の集いのメンバー。
様々なバックボーンをもった人たちだけれども、
この地球を、自然環境や伝統文化などを守っていくために
自分たちのレベルでできることは何か?
という接点で集った仲間たちは、
たいていが初対面ながら、大いに盛り上がる。
私は受付担当だったので、しょっちゅう中座して、
じっくり腰をすえて話ができたわけではなかったが、
それでも、あの場にいただけで、とてもエネルギーをもらい、
充電して帰ってきた。
ハワイや沖縄の伝統文化の映像を見たり、
そこからアイヌ文化の話になったり、
石油エネルギーの有限性についての話や、
土壌にも環境にも人体にもいいといわれているEM菌のビデオ、
それを使って川をキレイにする運動をしている人の話・・・
それ以外にも、私の関係で来てくださった人たちと話すと、
その人たちの知らなかった新たな一面を知ることができたり。
また、20数人という人数の中に、
「私の父の故郷である瀬戸内の島」で話題に接点ができた人とは、
なぜか東京で、ローカルな島の地名で会話できてしまうし…。
しかも、1人でなく2~3人いたりするし!
スイス料理の店ということでスイスワインというものを初めて飲んだが、
これがまた美味しい!
美味しいので、国外にあまり出ないらしい。貴重だ。
レストランオーナーである
スイス人のご主人と、日本人の上品な奥さんも、
お2人ともとても素敵な方で、
「あぁ、またこの人たちのおもてなしで料理を食べたい」と思ったり。
今回は、なんだか不思議なつながりと、不思議な場で、
その感想を言語化するのは容易ではなく、
言葉を越えた肌感覚で何かを感じ・得た集まりだった。
そんな体験もまたよし。
それにしても人生とは不思議なものだ。
「この人と出会ったおかげで、世界が広がった」という出会いを挙げよと言われたら、
迷わずSさんの名前を挙げる。
母子くらいの年の差があるにもかかわらず、
会うと友だち感覚があったりするからそれもまた不思議だ。
それだけ、フランクな人なわけだが・・・。
Sさんを通じてM氏とも出会い、
この英語の苦手な私が、翻訳ソフトと悪戦苦闘しながら、
英文メールなんか打ってたりするのも信じられない。
本業と全然違うこの出会いから広がる世界・・・
今後自分とどういうつながりになっていくのか?
自分でも予想がつかないだけに、面白い。
2001年、自分の屋号に「i&iコミュニケーション・ラボ」とつけて、
フリーでの活動を始めた頃から、
もしかしたら、この「つながり」というコンセプトは芽吹き始めていたのかもしれない。
【inter-personal communication】
よりよい人間関係を築くための支援
(人間関係の心理学、コミュニケーションスキルアップ、他)
【intra-personal communication】
個人が心の声や葛藤と向き合い成長する支援
(メンタルヘルス、キャリア形成支援、他)
自分の内面の「つながり」、自分自身と他者との「つながり」を
よりよいものにしていくことが、自分の仕事だと思ってやってきた。
今振り返ると、キーワードは「つながり」だった。
プライベートでの子どもの頃からの憧れだった沖縄・八重山諸島の波照間島への旅で、
人と人とのつながり、人と自然とのつながり、
人と歴史・伝統そして神とのつながりと、その大切さを、肌で感じ、
自分自身の身近な人や自然との「つながり」を意識するようになった。
(その時の記録:
「自分で獲って、あるいは獲りたてを、食べる体験」
「ぬちぐすい(命の薬)」
「2005年夏、八重山への旅:4日目」)
また、自分自身が自然が好きなこともあり、
今年は「自然とのつながりを深める」「自分の感覚を磨く」を目標においた。
春から早速、ネイチャーゲームや自然学校という
今まで自分が足を踏み入れたことのない分野に踏み込んでいったら、
そこでの新しい気づきや出会いにより、今、どんどん自分の世界が広がってきている。
・・・これら一連の思いや体験から、
人がその人らしくいきいきと生きていくためには、
自分の心や、体、自分と他者、というつながりだけでなく、
自然や歴史や夢(時間の流れ)、宇宙や、個を越えたもの、大いなるものなど
もっと広がりと深さをもった「つながり」が必要なのではないか?
・・・特にここ数ヶ月ほど、そんな思いがずっと頭を離れずにいた。
そして、先月、自然学校第1回目に参加して、様々な出会いや体験をし、
それに参加するに至った先述のような自分のこの数年のことを振り返った時、
自分が仕事やプライベートで向かって行こうとしていた方向は、
すべて「つながり」という言葉でまとめることができると気がついた。
それは、私にとっては、まるで雷に打たれたような衝撃をもって
私の全身を包み込んだ。胸が高鳴った。
そして、それらをテーマにして、考えたり表現していきたいと思うようになったのだ。
その立ち上げのさなか、数年ぶりにふと目について手にした本棚の書籍のページに、
今の私が「テーマ」にしていきたいと思っていることを代弁するようなくだりがあった。
このタイミングで、その文章に出会えたことが、またとてもうれしかった。
長くなるが、ここに引用する。
--------------------------------------------
「生きていくことの意味
~トランスパーソナル心理学・9つのヒント~」
著:諸富祥彦 PHP新書
"個を越えたつながり"を生きる
トランスパーソナル心理学の説く"つながり"のもう一つの意味。
それは次のような、さまざまな"つながり"を生きる、という意味です。
みずからの心や魂とのつながり。
思想信条や性差・人種の違いを超えた人と人とのつながり。
集団や社会とのつながり。過去の世代や将来の世代とのつながり。
あらゆる生きとし生けるものとのつながり。
この母なる大地と大自然、地球生命圏とのつながり。
そして私たちをその一部として含むこの宇宙そのものとのつながり。
人間を越えた大いなるものとのつながり。
トランスパーソナル心理学では、"自分へのこだわり"を捨てて、
こうした"つながり"に自分を開いて生きよ、と説くのです。
それはなぜでしょうか。
現代人が抱える心の傷や魂の渇き、そしてその現われとしての空虚感は、
こうした"つながり"を見失い、個人が"バラバラ"になってしまったことから
生まれてくるものだからです。
現代人の歪んだ生き方を根本から変えることは、
この"個を越えたつながり"の回復によってしかなしとげられえない、
と、トランスパーソナル心理学では考えるのです。
--------------------------------------------
トランスパーソナル心理学は、そんなに勉強しているわけではないが、
その考え方には共感できる部分が多くある。
この本、2~3年ほど前に買って読んだのだろうか。
その時に「これ」と思ったところに線が引いてあったが、
このくだりのさまざまな「つながり」について書かれているところにも、
しっかり線が引かれていた。
この本にこんなことが書かれていたとはすっかり記憶からはなくなっていたが、
この本を読んだということと、今至っている考えも
実のところはつながっているのかもしれない。
「つながり」について、最近の私はこう考えている。
“ある”と気づくことから、“つながり”ははじまる・・・
&
その存在に気がつかなければ、それが失われていくことにも気がつかない
&
「つながり感」を感じると、それは他人事ではなくなる